【幕間】出産に立ち会った話

出産予定日は7月2日。初産。

筆者の高田机上は産前1週間を有休、産後3カ月を育休を取っている。

胎児の性別は5カ月目ぐらいで男の子と判明している。

 

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6月28日(妊娠39週3日)

妻が朝に強いお腹の張り。妊娠後期になると前駆陣痛でしょっちゅうお腹が張るがこの張りは強かった。夕方におしるしトイレで透明なような経血のようなものが出る。夜に寝ようとしたら強い張り。2時間間隔で強い張りがあって眠れなかったが、早朝に3時間熟睡。

6月29日(妊娠39週4日)

12時に総合病院で最後の妊婦検診。順調。前週から既に子宮口が3cm開いているが問題はない。 お腹の強い張りが1時間間隔である。まだ本番の陣痛とは分からないので家に帰ることにする。

 

13時に強い張りが30分間隔。15時に15分間隔。15分間隔というのは15分に1回30秒間激痛で、ずっと激痛の訳ではない。15時半に10分間隔。 破水はない。僕「空振りでもいいから病院に行こう。病院で様子を見させてもらおう」 病院に電話すると「診察をする」ということで病院に向かう。

 

16時半に診察。7分間隔。子宮口4cm。本番の陣痛だった。主治医「出産が近いので入院はしてください」 入院セットを持って、陣痛室というベッドと椅子とトイレがある部屋に案内される。妻はベッドで横になり陣痛に耐える。

 

17時には陣痛がほぼ5分間隔。2人とも「4分3分となっていくものだ」と思っていたらずっと5分間隔。18時に妻に病院食。完食。僕は売店でサンドイッチを買って食べる。18時半に当直の産科医が来る。美人女医。妻は出産時は女性医師希望だったので良かった。 子宮口の大きさを診察(触診)。妻が苦悶。7cm。

 

ペットボトルの蓋にストローが合体したもの(100均)で C1000レモンウォーターを飲む。

 

陣痛はずっと5分間隔。20時半に美人女医が子宮口の大きさを診察。8cm。まだ破水はない。医師サイドで人工的な破水をさせるか協議されたが、概ね順調に進行しているので破水はさせないことになった。

 

21時を過ぎると2人とも口数が減る。それまでは和やかに過ごしていたが、心身ともに疲れてきた。人によっては陣痛状態が10時間以上続くこともあるので、2人とも「これがいつ終わるんだ」という心境だった。

 

1時間ぐらいおきに助産師が様子を見に来てくれる。

 

僕は20分おきぐらいにスマホを見て、カープの試合の途中経過を妻に伝えていた。6回終了時点で4対1でベイスターズに勝っていた。先発は大瀬良投手。

僕「7回から一岡君に替わった」妻「まだ1失点なのになんで替えたん?」僕「分からん」妻「球数? 最後崩れた?」

妻はもともとスポーツが嫌いだったが、僕が野球解説をするうちに野球ガチ勢になった。妻は大瀬良投手のユニフォームを持っている。大瀬良は7回の攻撃中に足がつって交代。

僕「あ」妻「え?」僕「8回裏ジャクソンが3ラン打たれて同点……」妻「ジャクソーン!」僕「大瀬良君の勝ち消えた……」妻「ジャクソン最近失点多くない?」僕「今からジャクソンの髭剃ってくるわ」妻「今からハマスタ?」

 

陣痛はずっと5分間隔。

 

僕「あ」妻「え?」僕「9回裏アドゥワがサヨナラヒット打たれた……」妻「アドゥワーー!」僕「出産のお祝いに大瀬良君に勝ってほしかった……」 2人ともカープファンだが負けて不機嫌になるほどではない。

 

広島

120 100 000

横浜

000 100 031x

 

22時半に子宮口の大きさを診察。8cmで変わらず。まだ破水はない。陣痛の痛さの度合いは増えている。陣痛中は排便しそうな感じがある。

 

24時前に助産師とトイレ。助産師の提案でベッドで大きなクッションを抱えて四つん這いに体位変更。四つん這いのほうが陣痛が進む場合があるらしい。

 

6月30日(妊娠39週5日)

 24時を過ぎる。2人ともかなり疲れている。四つん這いのほうが排便感が大きく、ビニール袋に入れたテニスボールで肛門を押さないといけない。助産師がいなくなってからは僕がそれをしていた。妻「陣痛は進んでいる気がする」

 

24時半に美人女医が子宮口の大きさを診察。妻が鈍い悲鳴。9cm。美人女医が「子宮が柔らかくて良い」と言った。

 

1時ごろの陣痛で「パキャッ」という音を2人とも聞いた。ナースコールで助産師を呼び、破水を確認。10cmの全開。隣の分娩室に移動する。

 

妻が分娩台に乗る。点滴。横向きに寝て陣痛が進むのを待つ。僕も立ち会い。平服のまますぐ近くに居れた。このころの陣痛の痛みは悶絶レベルになっている。これ以後「いきんでいい」「お尻に力を入れて」と言われる。妻によれば女性器に力を入れることはできないのでお尻に力を入れるのだという。

 

1時半ごろ助産師が「(赤子の)髪の毛が見えた」と言う。2時ごろに分娩台を変形させてM字開脚になる。美人女医と助産師2人体制。

陣痛は3分間隔になり、激痛30秒間に妻が絶叫していきむ。助産師Aが女性器に指を入れたり、赤子の頭を引っ張り出そうとしたりする。助産師Bと僕は妻の足を抱える。美人女医は腕を組んで見ている。

 

助産師Bが「乳首を刺激すると陣痛が進む」と言って妻の乳首をつまんでグリグリすると妻が「嫌です!」と言って拒否。

 

赤子が出てくる段階でも陣痛は3分間隔で、激痛30秒間にしか赤子は出てこようとしない。いきんだときに玉子L玉ぐらいの面積の赤子の頭が見えるが、いきむのが終わると戻っていく。僕も見ている。美人女医や助産師が「いきむのが上手です」と言う。

この30秒が終わるころ助産師Aが「一旦休憩しよう」と言うが、妻は「(いきむを止めるのは)無理です!」「分かりません!」と絶叫。

 

美人女医が女性器の下に麻酔注射。しばらくしてハサミで女性器と肛門の間を切る。パチン!と音。妻は無反応。助産師「次で行けると思う」

 

赤子の頭がおでこまで出てきた。すぐに首まで出てきた。赤子はこちら向きで無表情だった。血まみれにはなっていない。僕は今まで見た赤ちゃんは全て他人だったが、この人は僕の赤ちゃんだ、と思った。ほとんど間を置かず肩まで出た。助産師Aが引っ張り出して体すべてが出た。産声。元気よく叫ぶように。僕は「よっしゃ!」と言った。

 

2時25分出産。2910g。

 

助産師Aがすぐに妻の胸元に赤子を持ってきた。妻は朦朧としながら笑顔で抱いた。

助産師Aは赤子を洗いに行った。僕は抱っこさせてもらえず寂しかった。

 

妻はそのまま分娩台で胎盤を出したり縫合したりする。僕は陣痛室で赤子を待つが30分待っても来ない。

 

助産師から説明があり「産声を上げたがそれ以後声を上げていない。肺胞が開ききっていないようでうまく呼吸ができていない。小児科の先生に来てもらっている。現在保育器で酸素を送って様子を見ている」

 

僕には何もできることはないので帰ることに。妻は4時半ごろ病室に移動したが心配で一睡もできず。産後ハイなのもある。

 

朝。

妻は下半身にあまり感覚がなく、動かすと痛い。助産師にトイレに連れて行ってもらう。排尿しようといきんだら痛いので、仕事上を身につけたお腹を押して排尿する方法で出した。尿がしみてすごく痛い。戻ろうとしたら気持ち悪くて動けなくなり、助産師に車椅子を持ってきてもらう。 血圧が79で貧血になっていた。

 

病院の朝食を完食。座ると股が痛い。ドーナツ型クッションを貸してもらった。これで幾分楽。授乳があるのかと思ったらなかった。赤子はまだ保育器に居る。寝たり起きたり。病院の昼食を完食。助産師によりおっぱいマッサージ。母乳を出やすくするため。寝たり起きたり。

 

午後に僕が面会に来る。

 

妻の後日談

子宮口の大きさの診察で陣痛が進む気がした。

陣痛のときは体が震えた。このあともっと痛いのが来るはずだと怖かった。

乳首を刺激すると陣痛が進むのを拒否は、陣痛を自分のペースで進めたかったから。他人のペースで進められるのはしんどかった。

助産師が自分から離れるのは怖くて嫌だった。

「子宮が柔らかくて良い」はそうなのか、出産が楽であってほしいと思った。

「いきむのが上手です」は嬉しかった。

「次で行けると思う」は終わりが見えて嬉しかった。

ハサミで女性器と肛門の間を切った音は聞こえたが感覚はなかった。

 「死ぬ」ではなく「無理」とずっと思っていた。あんな大きなものを出すのは物理的に無理。「もう出産をやめたい」「止めてください」と言いたかったが言ってはいけないと思った。自分が出さないと終わらないのだと思った。

今どこまで赤子は出ているのかは分からなかった。赤子よりもそのあとに液体がドワッと出たのは分かった。

「これで終わった」と思ったが、あとの処理があるので全然終わりではなかった。縫合はめっちゃ痛かった。チクチク地獄。針を刺すのが分かった。縫合の何倍もの痛みがその前にあったので耐えれたが、出産ではなかったら泣き喚いていたと思う。

赤子を持って来られたときは「赤ちゃんだ」と思った。赤子を産んだ喜びよりも、つらいものが終わった解放感のほうが大きかった。

胎児がいなくなってしまったことが寂しい。長期間お腹にいたため愛着が大きい。もう胎動がないのが寂しい。

出産当日はシャワー浴もできない。ビオレさらさらパウダーシートが便利。

ズボラボ朝用(洗顔・保湿・角質ケアできるシート)はすごく助かる。

7月1日現在赤子はまだ保育器。抱っこも授乳もできない。哺乳瓶でミルクはあげれる。おっぱいマッサージで母乳が少し出たが、飲ませてあげられないのはすごく悲しい。

筆者の後日談

陣痛から出産までをずっと付き添うことができて心残りはありません。 事前に有休を取っていて良かったです。

 何か父親になる実感や自覚を持つ瞬間があるのかな、と思っていましたが明確にはなかったです。妻も「ない」と言ったので、それは子供を育てていくうちに徐々になのかもしれません。

出産時に赤子の頭が出たときには「なるようになるやろ」ではなく、「頼むから生きて産まれてくれ」と自然に思ったので、それは父親らしいかなと思います。

まだ保育器に居て、手術をするとかいう話はなく快方らしいですが寂しいです。早く保育器を出て不安を解消したいのと抱っこしたいのはありますが、1番は 「息子に妻を母親と認識してほしい。 妻のことを「お母さんだ」と求めてほしい」という思いです。

7月3日 追記

血液内の酸素量が正常値になったため保育器を出れるレベルですが、黄疸が出たためそのまま保育器で青い光線を当てる治療をしています。光線は目に悪いので赤子は目にテープを貼られています。体調は良いようで、元気ですし授乳量も増えてきています。

妻は術後の経過があまりよくなく、骨盤あたりが痛くて歩行困難。さらしを巻いたら多少改善しました。

母乳が生産されて胸が張ります。最初は出る量が少ないのでタオルに出して破棄です。我が子に飲んでもらえないのは悲しいと言います。今日は10ml出て、それを哺乳瓶に入れて子に飲んでもらいました。

出産入院は5日間ですが、母子ともに退院できるかまだ不明です。妻は帰っても動けないでしょうから僕が家事です。育休を取っていて良かったです。

7月6日 追記

6日に母子共に1日遅れて退院しました。黄疸は平常値に下がりました。新生児黄疸はよくあることだそうです。今は直接授乳もしています。

 

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